歴史を認め合うこと

 
 
 今年は阪神タイガースの優勝で沸いたが、1940年頃のタイガースも強かったらしい。日本プロ野球史上最強の打者と言われる景浦将がいた。その景浦は、現役中にフィリピン、ルソン島で戦死した。

 フィリピンに仕事で1年間滞在する機会を得た。その間、アジア・太平洋戦争の傷跡を各所で感じた。フィリピンでの戦闘は、日本兵犠牲者が50万人と多いことで知られるが、フィリピン人犠牲者はもっと多く、110万人である。レイテ島での戦闘は特に悲惨であったらしい。しかし日本軍がそこで何をしたか、日本ではほとんど知られていない。フィリピン人はみんな知っている。この戦争で犠牲者数と被害が東南アジアで最も大きかった国はフィリピンである。マニラも日米決戦によってほぼ全域が焦土と化した。

 出張先のミンダナオ島ダバオ市のホテルでのこと。玄関前で数人のスタッフが忙しく自動車を誘導していた。その中の1人、初老の男性は容貌や動作が他のスタッフと違って、日本人に見えた。私は近づいて「ユー・ルック・ライク・ア・ジャパニーズ」とつまらぬことを聞いた。瞬間、男性は手を止めて無表情になり、昔を思い出すように遠くに目をやった。しまった、失礼なことを言ったと思ったが遅い。とても長い沈黙のあと、彼は「グランドマザーが日本人だ。だからクォーターだ」と、まだ遠くを見ながら答えた。戦前、ダバオ市には2万人の日本人が住んでいた。戦後、反日感情の高まりの中、日系人には大変な苦難があったという。クォーターだと答えるまでの沈黙の長さから、彼の楽ではなかった人生を知った。戦争の傷は、今も多くの人の心に残っている。

 フィリピンや他の東南アジアの国の人々との会話の中で、戦争に話題が及ぶことがある。私は日本の首相に代わって謝罪する(それで済むことではないが・・・・・・)。するとたいてい、やはり遠くを見ながら「それは過去のことだから」と言って肩に手をやってくれる人々のやさしさに、私は何度も涙した。 

 私は、戦争で日本がしたことを知りたいと思う。NPO間の交流でも、歴史の事実をお互いに認めあうことは大切だと思うから。

林 信吾(JPCom会員)